おかしくはないです

嫌いな言葉は「多幸感」

【スターウォーズ 最後のジェダイ】まあ大体ガンダムで喩えられる

一言で言うとZガンダムだった。くさくさしたアムロにムカムカするカミーユとくさくさしたルークにムカムカするレイは完全に一致。その上、フォースの処理は完全にニュータイプのそれと同じだった。ニュータイプっていうのは戦争の道具じゃないよ〜すべての人が進化する可能性であり、分かり合える希望なんだよ〜っていうのを結局、戦争の道具としてしか考えられない視聴者たちやスポンサーを苦々しく思う富野はカミーユをぶっ壊してアニメを終わらせたけど、ライアン・ジョンソンは富野ほどやさぐれてないしディズニーはディズニーでちゃんとしてるので穏便にフォースの見え方(フォースの定義自体はそもそもあんまり変わってないのであくまで見え方)を変えた。

巷間に流布してたジェダイ血統主義云々に関して、別にジェダイ血統主義じゃないよっていうのはその通りなんだけど、プリクウェルのおかげさまでアナキンの出生からルーク・レイアにたどり着くまでの神話的な成り行きを語ってしまったがために父と子の相克と継承という部分がクローズアップされてなんかそういう風に見えてしまったし、やっぱり見ている人もそういう話が好きなので、その揺り戻しとしてのレイのあり方っていうのはすごく私はいいなあっと思いました。これって「ウッソはシャアの息子?だから優れたニュータイプなの?」とか言いたがるガノタから、かけたつもりのない梯子も容赦なく外してくれる、優しい富野がいつもしてることだよね。

その意味で、『フォースの覚醒』で試みられていた神話からの脱却(キャンベル的ストーリーテリングからの離脱)というのは継続して行われているような気がしたなあ。神話っていうのは遡れば遡るほど家系図の羅列になっていくものなので。ジェダイ血統主義というよりも、続編ものに観客が期待してしまう血統主義の脱却ではあるんじゃないかな。その方向性や姿勢自体は支持するし、例えばローズへのクソしょーもない批判はそれ自体がローズの必要性を語ってしまっているので、どんどんやってくれ〜と思う。ちなみに今やガンダムは映像を管理する人たちが「富野のものじゃないよ」っていう態度を隠そうともしなくなり始めててお金払うのもう嫌だよね。ルーカスは初っ端から権利を持つやり方をやってて偉いし、ガンダム作りたくなくても作らされてた富野とスターウォーズ作りたくて作らせてもらえなくなってもういいやってなったルーカスと結構対称的ですね。

でも映画全体はやっぱりなんか底が抜けている感があるので手放しで褒めるのもちょっとためらわれる。レジスタンスの逃走劇のズンドコ感とか、みるみるうちに残りレジスタンスの数が減っていく悲しさとか、ファースト・オーダーはファースト・オーダーでどうなるん大丈夫?とか……。ただただカオスに転んでいく世界の姿は、まあわれわれの生きる現実を鑑みると仕方のないことなのかもしれないけど……。