おかしくはないです

嫌いな言葉は「多幸感」

【人生はシネマティック!】男もすなる仕事というものを

ダンケルクで起きたドラマを映画にしようぜ!とノーランに70年先駆けた戦意高揚映画が作られるまでの物語。

「映画が好まれるのは現実と違って構造があるから(作為性があるから)、無意味なシーンがないから」と作中で言及される。そして確かにこの映画の中でも作為的と思われる展開が何度かある。時にはロマンティックなシーンを女性脚本家である主人公自身が脚本風に語り直す場面まである。しかし起こっている出来事は作為的に起こされたものなどではなく、作為性さえ感じられるほどに死ばかりが続く、これが戦争の日常である、との暗喩も確かに感じられて、ダンケルクで逃げてきた兵士が嗅いでいた死の匂いはつまり今ではロンドンの匂いになってしまっていて、だから劇中の映画で描かれていることはロンドンの日常でもあるのだ。

でも、この映画には戦争がどれほど悲惨かよりももっと強いメッセージが込められていて、それは女性が一人の人間として描かれる価値についてだ。ダンケルクの戦意高揚映画の主役は実際に船を出して助けに行った双子の女性で、主人公もその視点を決してブレさせないように映画を作り上げていく。そこには男の脚本家が作っていた世界とは別の世界が現れていて、しかしその世界にはすべての世界のおよそ半分の人間が属していることに、主人公のおかげで映画を作る人も見る人もやっと気づくことができる。日常の強固さはあまりにも支配力があって常に負け続けている私たちだけど、映画の誠実さと狂気はそれを打ち破ることができる。私たち自身も知らない想像力を、しかし確かに個人個人が持っているものなのだと。だから弱いもののそば、うなだれているものの側に、映画は立たねばならないのだ。

あと驚いたのは、「これぞ今の状況を打破するアイディア!映画が破綻せず尚且つ感動的なシーン!」みたいなのが何度もなんどもひっくり返されて撮り直しになってるところ……。我々が目にするまでいったいどれくらいの「脚本家会心のシーン」が死んでいっているんだ……。映画道の険しさよ。

あとビル・ナイの歌、最高です。