おかしくはないです

嫌いな言葉は「多幸感」

【ブレードランナー2049】SF映画は誰のためのもの

悪い意味で昔のSFのマインドがお話の端々にはみ出てて物凄い古さ。とにかく主人公のライアン・ゴズリングことKの恋愛がきつい。人工知能は人を愛することができる?みたいな疑問についてSFらしい解を出さずに普通にセックスするしょうもなさ。しかしアリス・シェルドンがジェイムズ・ティプトリー・ジュニアを名乗らざるをえなかった時代の感覚を踏襲していると考えれば正しい態度なのかと思いつつ、そんなののどこがSFなんだよ、とも反感を抱きもするわけで。今は2017年なわけだし。同じテーマの映画というと「エクスマキナ」に顕著だったけど、あれは人工知能への恐怖と女性が自我を持っていることへの恐怖を混同してしまった(どちらも使役するものという強固な前提を疑わない)典型的なダメなSFだったな、と思いもするわけで、そういえばけっきょく映画っていうのはアシモフの書いたロボットの可能性すら描くことができないままなんじゃないの、という疑念すら沸き起こる。映画は男のための、既存の価値観を保存するためのものであり、それゆえにワインスタインのような男もいるのではないん?と。

いや、そんなことはないか。にしてもより複雑で未来的な議論をすることも可能だったはずだし、例えば「her 世界に一つの彼女」とかの方がよっぽど愛と可能性に満ちた結論を提示していた。人工知能や肉体を持たざる生命体は人間よりも進化したものなのだから、無理に人間の真似をする必要なんかないととっとと気づいて彼らなりの、より神の愛に近いかもしれない愛の表現形を実践するだろうとどうして思えないのだ。

画はいつものドゥニ・ヴィルヌーヴでいちいちかっこよかった。バティスタもいい役。でも街の描写より荒野の比重の方が大きいので今ひとつ世界の奥行きはわからない。

でもめっちゃ落ち込んでいる人に対して「自分だと思った?思った?」って何回も聞くムーブは今後役に立ちそうだ。なんだろ、レプリカントだからあんな聞き方になったってわけじゃないよね……あれは面白かった。あとハリソンを争う二人を見るハリソンの「それはともかく早く助けてくれ……」なぼーっとした感じとか。