おかしくはないです

嫌いな言葉は「多幸感」

【猿の惑星:聖戦記 グレート・ウォー】猿の十戒、あるいは地を這う罪深き者

50年前くらいの映画みたいなお話ぶりでドキドキしたが最後まで見ると納得。なんつーか、聖書だ。スタジオ制作の聖書スペクタクルなお話だ。

シーザーは何者かなと思っていたらモーセだったし聖戦記と言いつつ出エジプト記だった。前作で原罪を猿のものとし死んだコバはシーザーのもう一つの姿としてたびたび姿を現し、シーザーはその影に苦しみながら猿たちの苦難の旅を安寧の地へと導く。ときに猿たちは異教徒に囚われ使役されるが、神が与えたもうた試練とわざわいの中を歩み続け、預言者はその使命を成就する。

とにかく世界にはほぼ人間がいないので画面は猿で埋め尽くされる。見渡す限り猿猿、猿猿、人猿猿。これは観る方も大変だし作る方はもっと大変だと思ってたらさすがに途中で少数精鋭猿の旅になる。人間以外のものへの親近感の限界みたいなものを感じた。脳がうまく画面の中の社会を位置付けられないのかも。猿がもはや現実としか言いようがないくらいリアルだから余計に。そして猿はほぼ手話と猿語?で話すからマジで猿のための映画を見ている感覚に。猿による『十戒』とも言える。ん?『十戒』ということはつまりチャールトン・ヘストンの系譜で……ここで『猿の惑星(1968)』と接続される……そうか、そういうことだったのか。とにかく全体として不思議体験なので映画館で見るのがオススメ。

前作『猿の惑星 新世紀』でいちばん感心した部分は語り口とか猿のCGとかではなく、アクションの新しさだった。猿は人間と違って上下の移動が得意なため、文字どおり縦横無尽に、高さのある見たことのないアクションを猿たちは披露してくれた。猿アクションだ。これにはかなりワクワクした。明確にそれは、人間と猿との違いだった。猿は人と違う文明を築くだろうと予感させる、意味のある画作りだったと思う。
そんでもってその〝猿と人間の違い〟が明確な意味を持つシーンが完結作たる今作には存在したので私は大喜びだった。人間など、するすると木に登れる猿にとっては、聖書における最初にして最大の誘惑者たる蛇に過ぎないのだ。神はその誘惑を知って蛇を生涯、地を這うものとした。猿にしてみれば、人もまた地を這うものに過ぎない。悲しくなるくらい、人間には何もなかった。もはやおそらく大多数の生き延びようとする者には魂すらも……うう……。

禍々しく用いられる「Stars and Stripes Forever」、燃えてちぎれる星条旗。怯えた自分をごまかすためだけに、奴隷を使役して築かれる無意味な壁。壁だ!約束された場所はアメリカではなかった。似たようなテーマ、危機感、同じような作りの映画をもう何本も見ているし、終盤はまんま『ローガン』だった。みんな同じように「やばい!」ってまじで思ってるんだな。それをちゃんと映画で語ってるんだから、いろいろキツい状況だっていうのはわかるし夢の国ではないのかもしれないけど、絶対に希望を持つことを諦めていないアメリカやっぱすごいよ。