おかしくはないです

嫌いな言葉は「多幸感」

佐賀県の教師が不足している理由のひとつはタブレット導入に伴うベテランの退職もあるんでは

佐賀県の公立学校の教師がもうものすごく不足していることは数年前、私の場合は5年ほど前から聞くようになった。

headlines.yahoo.co.jp

退職していた友人も、学校側から請われて、去年から担任を持たないパートタイム職として復帰している。

事情は色々あると思う。この記事では「少子化を見越して採用を抑えたから」という分析が載っているが、他にも要因として私が聞いた話は、「授業に使用する教材の電子化が原因」というものだ。九州全体の話というよりは特に佐賀県に限定した話になってしまうのだが、佐賀県は一時期、「47都道府県で真っ先にxxを導入した自治体」というトロフィーをとにかく欲していた。知事や教育委員会の上の人にとってはそれは明確に実績になって今後のキャリアに大いに役に立つし、企業にとっては美味しすぎる取引先になるので、とんとん拍子に話は進む。この一件に関して言うなら、都会の人間というのは本当に容赦がないと私は痛切に思い知らされた。

www.saga-s.co.jpタブレットもそうだけど、生徒に生徒を教えさせるというデリケートなことをやらせてしまう、花まる学習会から持ってきた「反転授業」「スマイル学習」はマジでやめた方がいいと思う。)

それらの導入における大騒ぎの経緯は多くの媒体で記事にされているし、その間に消えていったお金の行方や額はいまだに物議を醸している。思想的な意味でも業者を選ぶプロセスという意味でも、話題になった武雄図書館とも地続きな問題でもある。図書館という施設も武雄という町も私にとってはとても大切なので、好き勝手に実験の場みたいに扱われているのはとても悲しい。武雄図書館の問題についてはこちらのブログに詳しい。

nukalumix.hateblo.jp

大したノウハウの蓄積もないまま、佐賀県の学校にはあっという間に電子黒板やタブレットが普及した。

途方にくれたのは現場の教師たちである。ただでさえ授業や日々の学級運営は大変なのに、それに加えて使い方の全くわからないアイテム、その多くは自分たち教師よりもデジタルネイティブである生徒たちの方が使い方を知悉している代物を相棒としなければならない。パソコンではなくいまだに手書きのプリントを作って配布している壮年の教師なども多い。とかく教育(とあと出版)の世界はツールとしてのデジタルの導入に遅れている。それはそれで問題だとは思うのだけれども、タスクを詰め込んで教師が死ぬほど忙しい現場を作っておいて、時代の変化に適応する時間を作って「パソコン操作に習熟しろや」と言うのも酷な話だと思う。30代の私はSNSネイティブの若者たちのコミュニケーションにはとてもじゃないけれど一体化できないし、だから40代〜50代の人たちをパソコンができないのねと馬鹿にする資格は私にはない。イライラすることはあるけど明日は我が身っていうか今日すでに我が身なのだ。

で、教師不足の話に戻ると、ちょうどそういった電子化の導入があった頃、佐賀県の教育の現場にいた冒頭の友人とは別の友人から、「50代のベテランの教師が続々退職している」という話を聞いたのだ。友人当人もそれほど電子機器に親しいタイプではなかったので、退職するまではないにしろ、困り果ててはいた。もちろんそれは友人の印象の話であり私にとっては伝聞なので「続々」というのは事実に反するかもしれない。

ただ、そういうものの導入を決めた県や市の偉いおじさんたちがデジタルに強いかといえば多分全然そんなことはないだろうなあっていうのもわかる。ああいう人たちは自分でメール打たなくていい場合も多いし。そんな彼らが「これからの子供達はデジタルっしょ。そしてそんなふうに変わっていくこれからの時代で最初にタブレット導入したっていう実績が欲しいなあ」と言い出しても、現場で対応する責任者はその人たちと同年代かちょっとしたくらいのやっぱりそれなりに歳をとった人たちだったりする。

伝聞とそこから導かれた妄想で話をしていて申し訳ないけれど、あの時の混乱がなければ現在の状況は今よりはもうちょっと良くなっていたんじゃないかなあ、と私は勝手に思っている。

そんなこと言ったって、プログラミング教育とかで日本はどんどん置いていかれるじゃないか、そんなんじゃ世界に遅れをとるばかりだ、と言ってくる人たちもいるけど、やっぱりそんなこと言うんなら、大勢の生徒に一度にそういう分野の知識を教えるカリキュラムを作る方が先だよ。

教育というのは専門的なプロフェッショナルな分野であり、教えるという行為には訓練が必要なもののはずだ。IT企業の技術者さんとか仕事してその分野に詳しい人じゃなくて、ロウティーンの子供に何かを教えるロジックなりメソッドなりを持っている人。もし〝今〟、その指導者がいないと慌てるのだったら、そういう人材を育成する道筋を作るところからスタートすべきで、とりあえずタブレットを配れば教育がスタートするっていうのは液タブ買えば絵が上手くなるみたいな話で絵に描いた餅だ。でもお金を使う回路として簡単だからやっちゃいたいんだろうのもわかる。だからせめて部外者でただ思い入れのあるってだけの私は文句言っとこうと思う。

自分は勉強したくないけど子供には勉強させたいっていうのは、子供に教育を与える義務/子供が教育を受ける権利とはまた別次元の話でちょっと大人の傲慢を感じる。大人だっていくつになっても勉強していいし。この点は自戒も込めて、頑張ります。