おかしくはないです

嫌いな言葉は「多幸感」

「吉田豪の"最狂"全女伝説 女子プロレスラー・インタビュー集」秋元康は松永兄弟の後継者だよねという話

吉田豪の「吉田豪の"最狂"全女伝説 女子プロレスラー・インタビュー集」が面白い。全女で活躍した女子レスラーのインタビューを中心に収めた本だが、いろんな女子レスラーについて書かれた本は多かれど、いろんな女子レスラーが実際に話をしている本は意外に数が少ない。女の人について書いたり話したりは好きだけど、女の人の話を聞くのが好きな人は少ないって話なんだろうなあ。しかしその辺はさすがの吉田豪は当然吉田豪なので、インタビュー内容も大変良い塩梅。インタビュイー本人の主観的世界を侵すことなく、無自覚な異常性を漏れさせていっててそんな中でひときわ輝く、漏れるもののない大森ゆかり

インタビュー中では秋元康の話も出てくるんだけど、一度女子プロレスに手を出して今は今度こそってことで豆腐プロレスをやってて、女子プロレスにすごいこだわっているよねっていう話にはなんかすごい納得、というか示唆に富む話だと思った。ぶっちゃけ、松永兄弟のやり方あるいは精神的な部分の継承者って秋元康でしょう。

松永兄弟は山師で興行師、見世物屋さんなので、売りは女や小人の戦い。女や小人の戦いって珍しいでしょ?という、出オチ的な価値がまず最初にある。柔拳をやっていた松永兄弟だから戦いのことはわかるし。そのうちフジテレビでテレビ中継が始まって、その中継を担当するのはスポーツ部ではなくて芸能部だったので歌が必要になって、歌手としては当然素人のレスラーが歌を歌う。しかしその素人っぽさが受けて大ヒット。

ここでのポイントは、「素人っぽい女の子」という上澄み部分と「プロフェッショナルとして矜持を持つ女子選手」という肝心の部分の2つが興行に存在していたということだと思う。なんだか知らないけど「素人っぽい女の子」の初々しさがみんな大好きで、マスとして人気の出るポテンシャルを持っている。しかし選手はプロとしてプロの試合をやる。興行のクオリティは当然高い。でもそのクオリティに興味がある人は一部の人だけ。もちろん楽しんでいるすべての人は知らず知らずのうちにその面白さを受容して引き込まれているわけだけど、そのことを自覚はしない。

これってAKBとかおニャン子とかとおんなじじゃないのかな。オーディションで素人の若い女の子を集めて初々しさで売り出す。歌の歌詞もその性質に即したものだ。恋愛禁止、もちろん。彼女たちはプロの女じゃないからね。プロの女っていう言葉の罪深さはすごい。この前見た『パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊』でも「あんたの娘は(天文学の知識でいうと)プロの女だよ」ギャグがあってウゲゲーってなったけど、恋愛するだけ、セックス経験があるだけでプロの女呼ばわりして切断処理する態度は非常に見慣れたもので、女としてプロっていうのはそれ以外の意味がない、とする人も多い。仕事をする女性を忌避する感覚って、こういう無意識も絶対関係あるよね……。

ただし、当の本人である選手やメンバーはもちろん、自分のことを素人だなんて思っちゃいない。プロとして最高のステージをするため、練習して練習して自分の肉体をコントロールする術を学び、場を支配する振る舞いを手に入れる。だって仕事だもん。精一杯やるよ。襲撃事件を起こしたりとか攻撃的な言動を本人に投げかけるファンなんかは、女性のプロのフォルダが一個しかないでその辺が混濁したままなんだろうと思う。

そしてそんな環境の中でプロに徹し、期待されたものの壁を突破してなんかわけわかんない異常なものが生み出される瞬間は確かにある。だからこそ私はその頃の女子プロにこだわってしまう。あの頃を通過した今の女子プロには正しい形でのその瞬間が生み出されることを期待してしまう。

女の子に対する〝侮り〟と、お金を払った対価としての〝興行への満足〟の両方を欲して、それが両方とも満たされるなら最高だ。自分の世界観が守られ、しかも目一杯楽しむことができる。かくも明確なダブルスタンダードこそ日本の芸能の勝ちパターンなのだなあ。……全女が勝ってるかどうかは謎だが。

松永兄弟も秋元康も「恋愛禁止」とか言いながら自分の扱うタレントと結婚しているのも一緒だね。それのみをもってしても色々言うことはできそうな気がするぞ。

私は女性の置かれた現状に不満足なのでこのダブルスタンダードは卑怯だと思うし、2つの側面を切り離したいという欲望を抱えているけど、別にこのままでもいいでしょうって思ってプロとして頑張り続けることは普通のことだし、赤城マリ子の話なんかからはその意思を強く感じもするので、ちょっとかなり複雑な気持ちになる本でもあった。