おかしくはないです

嫌いな言葉は「多幸感」

【ローマ法王になる日まで】信仰in俗世

思いもよらずかなり面白かった。

宗教がらみの事件なりなんなりが起きると、「宗教って人を幸せにするためにあるのに、変なの!」みたいなことを言う人がいて、その言葉の自分勝手さに脱力するのだけど(「結婚って幸せになるためにするのに」くらいのバカバカしさ)、まあ現ローマ法王となったホルヘの人生には苦難しかないしだから神もわりと口数が少ない。幸せはない。生きる苦しみと困難がある。信仰に生きた人というよりは過酷な現実と信仰の距離を常に測り続けてきたような人生で、信仰に殉ずる人の人生を一歩引いて見守っているような彼のアルゼンチン独裁政権時代での孤独で静かな戦いの様子が描かれる。

まずこの独裁軍事政権のやばさが目を引く。やばい。軍と警察がやりたい放題をするというのはこういうことでありやばい。そして独裁政権の言葉遣いが決して今の日本で見られないものではないという点もやばい。稲田朋美の選挙応援演説のやばさが集約されているやばさ。いろんなホラー映画とか歴史映画とかで暴力や拷問の描写は見てきたけど、〝不当逮捕ののち収容所に送るからその前に予防接種ねと言って麻酔薬を注射し軍の輸送機に乗せて飛んでいる機体後部のハッチから生きたままボーッとした状態の人間を海に投げ落とす〟という一滴も血が流れないのに空前絶後感のあるやばさは、フリーハンドの暴力と人間の知恵の行きつく先の一つの形ってくらいにやばい。

そんな中で権力と良心の狭間を漂うようにアルゼンチン管区長としての職務を全うし疲弊するホルヘ。神学を修めて神についてはほとんどの信徒より詳しいはずなのに、とある場所で出会ったいち信徒の祈りに彼は救われ、神との再会を果たす。このシーンの厳かさと神秘性よ。俗世と接近し、現実的解決策を常に模索してきた末に、ミサを執り行うことが最大にして唯一の彼のなしうるアグレッシブな活動の一つとして描かれ、しかしそれが弱いものの側に立つもっとも強い意思表示になりうるのは、現実と良心のあいだにもまたキリストはいるからだ。

というかローマ法王っていうのはそんくらいの位置付けの人がなるんだよっていうメッセージも感じる。ある程度の政治性への接近が最低限必要というか。なんてったって出てくる枢機卿が漫画とかで出てくる富豪くらいに俗っぽい。デカイ十字架のネックレスで成金っぽさを倍増。たぶんちゃんとしたアイテムなんだろうけど。
そこのバランスとして、カトリックじゃなくても大いに共感でき、カッコいいのがホルヘのおそらくローマ法王として特異なところで、エンディングで道を歩いてるだけのモノクロ映像はミュージックビデオかよとすら思う。

しかし、こういう映画に対して「私は無宗教なのでよくわからないのですが」とキリスト教やらイスラム教やらが大きな位置を占める国の特殊事情みたいな形で理解を切り離そうとする人がいるけど、古事記に書いてある国産みの神話の神々の子孫が象徴(戦前はいちばん偉い人)としてなんかいろいろ言ってる国の宗教ぶりとあんまり変わんない、というか自覚がないぶんたちが悪いんではないかと思う。天皇尊いっていう感覚は、まったくもって完全に信仰だよ。