おかしくはないです

嫌いな言葉は「多幸感」

【ローガン】どこにでもある祈りのことば

アメリカにおける『シェーン』の重要性は本当に何なん?というくらいあれもシェーンだしこれもシェーン!でもいいよ、だってシェーンはやっぱすごいもん……というやつ。

「彼女はいつからmute(声を出せない)なの?」「生まれた時から」というやりとりはもちろんウルヴァリンにとってはmutantであることを訊ねられたことと同義で、しかしそれは社会の周縁に追いやられた人々は常に変種でありそして沈黙を強いられていることをわたしたちに教える。もちろん、ローガンだってずっとそうだったのだ。そして常に人を傷つけるばかりの人生は終わりのときに「こんな感じ」が初めてわかる。不死の彼がずっと分からなくて戸惑っていた、見るばかりで失うばかりだった苦しみの向こう側。

ローラは旅路で出会った少年のような祈りの言葉を知らないけれど、彼女には『シェーン』の言葉が祈りとしてすでにもたらされ、そこには祝福と贖罪とそのどちらもが含まれて、エンディングで「不正をはたらく者は誰もが彼を不正な者にさせ、正しい行いをする者は誰もが彼を正しい者にさせ、汚れた者は誰もが彼を汚れた者にさせてしまう」と歌われたキリストのポートレイトとシェーンの言葉は寸分違いなく彼女の中に吸い込まれていく。100年前に描かれたフィクションの西部劇が聖なる言葉として記憶される営みの姿は、劇中で流通している『X-MEN』のコミックが虐げられた者たちに楽園のありかを教えたことでなおさらハッキリと、わたしたちが信じるに値するものは何か、何によって希望を抱くことができるようになるのかを断言している。レイヤーの違う2つのフィクションがわたしたちとローラを当たり前のようにつなげる。驚くべきヒーロー映画だと思う。

絶望することはある。でも、この人生が幸福でないとは誰にも言うことはできないと、そのためにいつだって爪は振るわれていたのだ。