おかしくはないです

嫌いな言葉は「多幸感」

【はじまりへの旅】インテリヒッピーなれのはて

変な教育したがる人ってなんで変な教育したがるんだろうと思っていたけどその謎が解ける映画だ。
主人公のヴィゴ・モーテンセンは隔絶された森の中で6人の子供を育てている。彼らは学校に通っていなくてヴィゴの超スパルタ教育によって肉体面も頭脳面もスーパー超人的でありまあ古代の哲学者が言った哲人にかなり近いものを目指して育てられている。思想的にはもちろん反体制であり資産家ファックなのだ。
映画が始まった時点で母親はおらず、彼女の死が知らされることで物語は始まる。どうやら彼女は長く双極性障害に苦しんで入院中だったらしいのだが……。

子供たちを隔離して育てるって虐待じゃないの?という疑問符は当然回収されて(でも途中まで「ヴィゴは正しい」の一点突破でこられたらどうしようとずっと心配してた。それくらいヴィゴのやることには隙がない)、対立者として母親の父親、つまり子供たちの祖父が異論を唱える。ヴィゴに隙はないが、父親はまったくのド正論なのだ。世間一般の常識的には(つまり一般的な普通の教育を支持する立場からすれば)父親の言うことが正しい。
けれど、母親はおそらくそんな父親に傷ついて傷ついて、自分なりの人生を構築したいと考えて、ヴィゴと結婚し、子供たちを変なやり方で育てようとしたのだ。

家族の旅が進むにつれて明らかになるのは、父親たるヴィゴもヴィゴと意気投合したと思われる母親もひどく社会によって傷ついてしまっていたということだ。変な教育が変なのは、教育というものの側面が社会性を育てるために用意されたものであるという点を嫌うからで、その判断がそもそも変なのであり、教育の目的そのものと矛盾しており、だから変に見えるのだ。そのせいで彼らは蒙を啓いた結果得られたいくつもの知識を運用しながら、なぞっている思想はまるで蒙そのもののように見えてしまう明らかな矛盾する態度を取っている。その蒙のような部分は、傷ついた彼らのまだふさがり切っていない血の滴りなのだろう。スピリチュアルとか。非科学的とか。でもそういう彼らの必死な防衛反応を、わたしはとても笑う気にはなれない。

ヴィゴは教育で得られた知識そのもの、つまり今の自分を形成しているものはとてもとても愛している。高等教育を受けてよかったと思っている。得られたものを肯定し、得るまでに被った苦しみを否定する。その心の動きこそが、変な教育までに至る回路なのだろう。私はヴィゴほどのインテリジェンスは持ち合わせていないけど、その思考じたいは、分かる。

物語の落とし所はいい塩梅に見つけられて、中盤までのイヤ〜な予感はいい意味で裏切られた。正直、ヴィゴ夫婦の思いもたいそう理解できるし資産家ファックなので、手酷く彼らが否定されたらそれはそれで非常に後味悪かったと思う。低予算で撮られていろんなところで絶賛されたというのもなるほどな話。いろんなところに目配せが効いて、バランスのとれた映画だなあ。