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おかしくはないです

嫌いな言葉は「多幸感」

ニューダンガンロンパV3はやりたいことはわかるし共感もするけどさというネタバレ感想

なんだかんだで1からちゃんとやってるけど2の続きがアニメでしかもお話はアニメで完結って!と先週くらいに知って私はメディアミックスの犠牲者となったのだ。なので3からやっても安心、と思ったら基本、1と2やってる前提の話だった。こういうゲームのシリーズって続編がファンディスクみたいになっちゃうけど、まさしくそんな感じ。しかも最後の最後でシリーズのファンを裏切ってくるから、うーん……尖ってるといえば尖ってるけども、荒れるのも理解出来る。

まず細かいところから。いくつかある事件の謎解きの肝心の部分、つまり犯人を犯人たらしめる決定的な論理が微妙。この状況で人が死んだらそりゃあこの人が犯人だろう、という感じで推理のための推理をさせられている感じ。「それはすべて最後のどんでん返しのための伏線」と言われても「あっはい(そんなこと言われても……)」である。あとアクションゲームっぽい部分がおおよそひどい。特にドライブ。次はドライブで推理!ってなるとテンションダダ下がり。理論武装という名のリズムゲームになっていないリズムゲームもひどい。とにかくこの2点は推理ゲームをしたいプレイヤーには邪魔でしかない。

クライマックスで語られる「フィクションの存在だって死んだら悲しい」「フィクションだってリアルを変えられる」という主張は全力で肯定したいし、それを声高に伝えたい、伝えなきゃという覚悟は全力で応援する。ほんとだよそのとおりだよ。みんな生きてるし、二次元とか三次元とか関係ない。よく言ってくれた、と思う。
でも、むちゃくちゃ難しい問題設定なのに、それを伝えるための準備というか前提が脆くて「言いたいことはわかるんだけど……」という気持ちになってしまう。『キャビン』ですら5年以上前なんだけどなあっていうのもある。ちょっと今更感。10年前なら褒めて褒めて褒めちぎったと思うから私は勝手だな。

そもそも『ダンガンロンパ』シリーズは、大量のパロディとメタフィクションを詰め詰めにして現実と虚構の境界を曖昧にさせ、そのお約束の上をポップな悪趣味と残虐で走り回りぐちゃぐちゃにするという手法で、感度が高いと自分で思っているオタク層に訴求するという結構たちの悪いフィクションの扱い方をしてきたはず。なのに今更「それって悪趣味だよ? 非人道的だよ?」みたいな物言いをされたら、そりゃあ怒る人もいるよね。という話だ。
実際に今回も最後の最後まで、しょーもないのにしつこい下ネタと古今東西の漫画やゲームのパロディを延々と読ませられている。後者はたぶんわざとだろうけどやっぱだるい。若者にはもしかしたら面白いのかもしれない部分だが、年寄りにはもうさすがに恥ずかしいのだ。

あと、アニメ的な絵で構成されたビデオゲームという形式もまた最後の主張を曖昧なものにしてしまっている。このゲームで最後に論じられる構造は、

ゲームのプレイヤー
↓↑     II 
↓↑ コロシアイゲームの観客
↓↑     ↓↑
コロシアイゲームの参加者

なんだけど、対立しているコロシアイゲームの参加者(プレイヤーキャラクター)とコロシアイゲームの観客が、我々にとってはどちらもフィクションの存在なんだよね。なのに、プレイヤーキャラクターだけが突然、自分たちをフィクションだと定義し、コロシアイゲームの観客と自分を差別化し、そこから「フィクションであるわたし」の話を始めてしまっている。ここで「フィクション」という言葉選びをされるのはものすっごく変なことだ。そのせいでなくてもいい2つの壁をプレイヤーが否応なしに認識させられてしまっている。

ゲームのプレイヤー
ーーープレイヤーが認識している現実とフィクションの壁ーーー
↓↑
↓↑ コロシアイゲームの観客
↓ーー参加者が勝手に設定した現実とフィクションの壁ーーー
↓(↑)    ↓↑
コロシアイゲームの参加者

本来なら〝プレイヤー=観客〟の構造を訴えたいわけだが、設定上は〝参加者⇄観客〟の交換可能性が成り立っているので、なぜ参加者が自らを「フィクション」と自称しているのかがよくわからないのだ。キャラクターたちは「ルールに踊らされないために死ぬ」という選択肢に向かうのだけど、いや外の世界に出て生きればいいやんそのために頑張れよと思ってしまう。外の世界=我々の世界という前提がきちんと論じられればまた違ったのだろうけど。

映画で例えると、『キャビン』の語りをしようとしているのに、設定やセリフが多すぎて、『ハンガー・ゲーム』のカットニスの動機や葛藤と見分けがつかなくなっている。これはとっても致命的。

「フィクションだって生きている」、主張の中身は共感できる。しかしそれを語るナラティブの形式は、私たちの残虐さを糾弾するには、何もかもがとにかく饒舌すぎた。2時間の映画ならたぶんもっとするっと入ったのだろう。けれど今時のゲームのテキスト量は尋常じゃない。講談社ボックス系のミステリのフォロワーである(と私は勝手に思ってる)『ダンガンロンパ』シリーズならなおさらだ。

とにもかくにもパロディの物量で「ふふ、わかってる俺」みたいなの早く衰退してほしい。下ネタと同じくらい下品だし、現実もフィクションも等しく害する病だよ。