おかしくはないです

嫌いな言葉は「多幸感」

12.3NXT大阪公演〜中邑真輔ありがとう〜

新日本プロレスのインターコンチネンタル王座は、強さのベルトではなかった。
白くなってからのあのベルトが象徴するものはスタイルであり、かっこよさであり、生き方だった。
そして、中邑真輔のベルトでしかなかった。たぶん、今もだ。そんなベルトが何年間も、新日本の興行のセミを支えていた。なんとも不思議で、不可解な話だ。メイン戦の直前の大事な時間を空間を、強さとは別の価値観が支配している状況が、当然のような顔をして何年も続いていたのだから。

プロレス人気が復活したと言われるようになって久しい。電車の中で高校生がプロレスの話題で知識の多寡を競い合うのが聞こえてくる。なるほどこれは本物だ。彼らは恥じない、気に病まない。どこにも痛みはない。そういうふうにプロレスの話が、できるようになった。

総合格闘技ブームによって打ち砕かれたのは実はプロレスの〝人気〟ではなかった。プロレスは強い、プロレスラーは強い、という信仰こそが打ち砕かれ、プロレスファンのプライドが粉々になったのだ。そのトラウマが、プロレス暗黒時代の痛みだった。
新日本プロレスの経営母体がブシロードに変わって以来、毎年のように年末には「プロレス人気再興の秘密」という記事を経済系のウェブ媒体で見るようになった。これは年始に開催されるイッテンヨンの告知宣伝記事とほとんど変わりがない。そしてそういった記事には決まってこのような定型句が登場する。
「プロレスは勝ち負けが全てではなく、ファンはリングの上で見せられる生き様に感動しているのだ」
この定型句には埋み火のような痛みがちらちらとくすぶり、その赤くにぶい、しかし温度ばかりは高い炎の断片からは、現在のプロレスファンが何を見て、何を見まいとしているのかがうかがわれる。
「私たちが見ているのは勝敗じゃない。強さじゃない。だからプロレスを見ない皆さん、プロレスは初めから勝敗が決まっているとか、プロレスラーがロープで跳ねて相手選手に戻っていくのは変だとか、ナンセンスでつまらない指摘はしないでほしい。私たちだって、わかっているんだ。わかってて、見ているんだ」
そんな信仰告白を励ましてくれたのは、中邑真輔の言葉だった。
「いちばんスゲェのは、プロレスなんだよ!」
強い、ではなく、すごい。言葉の効果と意味の厳密性に気を遣う中邑真輔だから、彼は意図して、強い、という言葉を使わなかったはずだ。少なくとも最初の時以外は確実に。この叫びを聞いて、プロレスファンは思う。
「そう、私たちが見ているのは強さではない。強さの向こうにある、すごさだ」と。
気持ちの上では言い訳に言い訳を重ねて、しかしプロレス人気は徐々に回復の兆しを見せている。プロレスは、恥ずかしく虚構にまみれたインチキではなくなっていっている。ソフィスティケイトされてロジックを獲得してきたと言ってもいいだろう。私にしてみても、そのロジック――強さではなく、他の何かを見るのがプロレスだ――がなければここまでプロレスにのめり込むことはできなかったはずだ。この世界にある自分とは距離のあるいくつもの物語をロジックを用いて自分のもののようにして受け取り、吞み込み、吐き出す行為。欺瞞といえば欺瞞だけれども、そうすることで人間は生き延びる。
猪木という巨大な虚構に見出され、その後の冬の時代を生き続ける中で、中邑真輔は自らのスタイルを作り出し、すごさをわかりやすく演出し、強さとは別の、神々しさとでも言うべきカリスマを纏うことを選んだ。「あびせ蹴りするなら骨法の道場に通え」と言って、使う技ひとつひとつを中邑真輔というロジックで有機的につなげていった。形式を重んじ、それらを自分という論理でつなげてひとつの虚像を作り出すこと。それはあるいは棚橋が捨てた野毛道場の猪木の等身大パネルストロングスタイルの呪いを静かに引き受ける行為だったのかもしれない。実際、いまもっとも人口に膾炙している中邑真輔の二つ名は、〝キング・オブ・ストロングスタイル〟だ。

わたしもその神々しさに、かっこよさに惹かれた一人だ。

はじめて中邑真輔を見たときのわたしは今よりずっと死にたくて、痛みを知る人間でありながらどこまでもスタイリッシュな中邑真輔の輝かしさを、夜闇の中の蛾のようにわたしは追った。できるならその輝きに焼かれてしまいたいとすらきっと思っていた。その輝きがわたしを慮って「いちばんスゲエのはプロレスなんだ」と慰めれば、単純なわたしは生きることを延期した。強くなくてもいいと、強さを見せているのではないと言ってくれる。彼はわたしの逡巡の中身を見てくれている。あの美しいものが、わたしたちを見てくれている! あなたの言葉で、わたしたちは生きよう。強さ弱さの物差しでわたしたちを嘲う者たちの言葉を、聞かない態度を肯定されよう。

けれども、12月3日のエディオンアリーナで見た中邑は、強くなろうとしていた。彼は神々しさをアメリカ大陸のどこかに折りたたんでしまって、いつの間にか死すべき運命を知る人間になっていた。かつてわたしが寄りかかって当てにしてフラフラと近寄っていった輝きを、どうやら自らいらないものと決めてしまっているらしかった。
サモア・ジョーとの体格差は圧倒的で、確実にパワー負けしている試合内容を、どうにか自分のスタイルで突破しようとする中邑。長身だが細身で、ガタイがいいとはとても言い難い中邑真輔は――かつてのブロック・レスナー戦を思い出せばわかるように、まっすぐ向かっていけばいとも簡単に弾かれてしまう。そんな相手に勝つために、観客を熱狂させる優雅さに優先されていたのは、強いものに勝つ愚直さと意志だった。
選ばれし神の子でもなければ猪木の寵児でもない。格闘技路線の象徴だってもちろんない。そこにいる彼は中邑真輔だった。自分で生き方を選んであそこにいて、遠い異国の地で、いちばん残酷な評価基準に身を委ねる。そういう戦い方を、中邑真輔は選んだのだ。わたしはそのときはじめて気づく。わたしたちが生き延びるために、中邑真輔をわたしたちが利用していたことに。
当たり前のことに気づく。人間は神にはなれない。なのにそのように振舞っていた人は、きっととても、ずっと、不自由だったはずだ。人によってはしかしその不自由はある種の快楽でもあるだろう。人の上の立つこと。崇められること。

中邑真輔は、自由を選んだ。得たものは、強くなる権利。失ったものは、神の輝き。

もうわたしも中邑真輔になすりつけるのはやめよう。わたしが「中邑真輔の中にあるわたしを救ってくれたもの」だと思っていたものは、つらくて死にたくて生き延びられないわたしが投げつけてへばり付けたわたし自身の輝ける何かだったのだ。それはわたしの中にあるときは輝いていなかったから、美しくて健やかで苦しみを知るものにわたしは頼るほかなかった。中邑真輔はそういうわたしたちをぜんぶ引き受けていた。プロレス人気回復のためにもっとも厄介で邪魔くさいストロングスタイルという言葉すら、中邑真輔は背負っていた。背負いながら、わたしたちの痛みを慰撫する言葉を発していた。その献身こそ、神がかりであろう。
棚橋が捨てて忌んだストロングスタイルという言葉は、海の向こうで熱狂と信仰とともに迎え入れられ、生き延びてしまった。でも、それはかつてのままの姿ではない。信仰が人間のものになったときはじめて、人間の時代が始まる。未開から足を踏み出して、自由になれる。
ひとは自由になれる。自由になるためにわたしたちは生きている。それを中邑真輔は、プロレスは教えてくれた。

大阪公演のメインのあいだじゅう、ずっとわたしは泣いていた。やはり生きていてもいいのだと、強くなってもいいのだと、生きたい生き方を選ぶのが人生であり命であるのだと。それがどんなに難しくても、中邑真輔はそういうふうに生きていくのだと、日本にいた頃よりいくらか筋肉の稜線が険しくなった肉体全てで、わたしたちのためではなく自分のために、彼は戦っていた。そのすべてがメッセージで、そのすべてが新しく約束されたロジックだった。世界の初めには言葉が――ロゴスがあったと、聖書は語る。あそこは始まりの地だった。中邑真輔に生かしてもらったわたしがまた始まれる場所。

今までありがとうございました。これからもずっと応援しています。