おかしくはないです

嫌いな言葉は「多幸感」

【シチズンフォー スノーデンの暴露】我らはディックを生きている

自分がそういう妄想に襲われたときのために集団ストーカーの体験談を結構読むのだけど、当たり前な話として当事者はもうすんごい苦しい状況に置かれていると感じているわけで、ググればいくらでも同じ体験をしている人が出てくるわけだから、調べれば調べるほど苦しみはより強固になっていく。

被害妄想と言ってしまえばそれまでだけど、自分の周りで起こる様々な出来事に何かしらの意味を見出すのは妄想の症状がない人だって当たり前にやっていて、朝の占いを確かめて赤い色の何かに励まされた体験なんて実際のところありふれているはずだ。

一方というかなんというか、この映画の主人公たるエドワード・スノーデンは本当に監視されている。映画監督にコンタクトを取り暗号化されたメールのやり取りを経てガーディアン紙の記者も含めた彼らは香港で邂逅し、けっきょくそのあとスノーデンはアメリカの地を再び踏むことは叶わなかった。「監視されている私たち」という現実に物証と確証を持っているスノーデンはパスワードを入力するときに毛布をかぶって手の動きを(あるかもしれない)監視カメラから隠し、ホテルの火災報知器が突然鳴り始めれば備え付けられた(盗聴してるかもしれない)電話を怪しんで話を中断する。でもスノーデンの警戒は妄想じゃない。現実の下に隠された悪意を知ったからこうするんだ、とニュースから想像された人物像とは明らかにかけ離れた穏やかで技術者然とした雰囲気を纏って彼は警告する。香港のホテルで秘密裏の会合というシチュエーションじゃなくて自宅のリビングに友人を招いた一幕という場面だったとしたら、もしかして私は「何言ってんの!ぷぷ」と一笑したかもしれないなあ、と思う。妄想に苦しんでいる人は、もしかしたら、「その通り、あいつらは私たちのことをいつも見ている」と頷いてくれるような気がする。この場合、肯定された要素と言及された要素は実際には別のものだけど、言葉の正しさはだからといって揺らぐわけじゃない。

「クレジットカードとメトロカードのデータを照合すればあんたの行動は丸裸だよ」って完全にツタヤのなんとかカードがやってることだし、なーにがビッグデータじゃ、表へ出ろ、と言いたくもなる。妄想を妄想と笑っていられない現実に、目の奥がちょっとぐんにゃりもする。何が妄想で何が真実なのか、我々は初めからディック的世界を生きなければいけないのだ。

でもやっぱり監視されているという妄想の苦しみがこの世からなくなってほしいと思うから、やっぱりプライバシーは守られてほしいとスノーデンの真っ黒になった目の下を心配しつつ応援するのである。