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おかしくはないです

嫌いな言葉は「多幸感」

【サウルの息子】あそこで私が死んでいる

私の観測範囲では「サウルは偶然、自分の息子の死体を見つけ、息子の弔いに奔走する」みたいな紹介をあちこちでされているけど、違いました。違うと思うんだけど……。

何よりも、虐殺シーンの<目の前で行われている>感を確かめるためだけでも見る価値はある映画で、サウルという男の一人称を彼の肩越しに見るという体験は、語られることで出来事を知ることの限界と可能性を知ることができる。語り手の体で隠れた景色は、やはり全てを見せてはくれないが、それが語りを聞くということなのだ。映されるはずの悲しい死体の全貌は見えないけれども、語り手の体の動きから<何が起こったか>を知ることはできる。

鉄の扉が内側から音を立てて叩かれるあの長い時間と、そこから抜け出して数分でも息をし続けていた少年。死の部屋から生還した少年をユダヤの手続きに沿って自分(たち)の人生を規定する信仰のうちに取り戻すこと。ゾンダーコマンドという死への途中経過で生き延びる意思を示すためにできる行為として、並行して描かれる蜂起はサウルの弔いへの執着と対立するものではなく変奏として理解することができ、そしておそらく、此岸から彼岸への渡河はある種の成就ではあったのだ。