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おかしくはないです

嫌いな言葉は「多幸感」

【スター・ウォーズ フォースの覚醒】少女の神話は始まらない

ジョージ・ルーカス=未来人>説を唱えては失笑を買う日々を過ごしている。映像に関連する商品の権利をがっちり押さえてキャラクター・マーチャンダイズの先駆者となったり、映画の撮影技術を自分の作品のために根本から変えたら世間一般に普及する映像のスタンダードまで変えちゃったり(キアヌ・リーブスの『サイド・バイ・サイド』で得た知識)、彼を未来人だと考える材料はかなり揃っていると思うんだけどなあ……。

ルーカスが未来人であると私が信じる理由のもう一つは、神話を神話のままSFとして映画に仕上げたその直接的なやり口の鮮やかさだ。『スター・ウォーズ』シリーズを語るときにキャンベルの話を持ち出すのはもはや手垢がつきすぎて恥ずかしいくらいのレベルになっているとは思うのだけど、でもやっぱりルーカスがやりたかったのは神話の構造の再現とそれが神話と認められる過程を作品の内外で実践する、というダイナミックな実験だと思う次第なのである。それは六本木とかで開催されていたスター・ウォーズ展の中身を見てみれば明々白々で、並んでいる絵の半分くらいは完全に宗教画のやり方で描かれていて、つまりはルーカスにとってはマーチャンダイズは信仰を舗装する一種の布教活動なんだよね、きっと。

で、エピソード7はどうかというと、もう完全に神話を作る試みはどっかに行ってしまったようで、エイブラムスの手つきには信仰に向かうハッタリは微塵もなく、カイロ・レンなんかはもう、えらくイラついている。多分何かしらの診断がつく感じのイラつき方で、想定しているものがあるんだろう。エディプス・コンプレックスというのは多数の臨床例を神話に紐付けて命名したもので、その症状自体はつまりは神話そのものではないものなのだけど、ルーカスがオイディプス神話を神話として描いたとしたなら、エイブラムスは臨床例を描いていて、それは確かに全く現代的なアプローチではある。

その方向性が商業的かどうかは、それほど問題ではない。スター・ウォーズという作品で先に商売を成功させたのはルーカスなのだし。ただ、現代的であることをある種の身近さ、共感可能性だと考えると、エピソード7の物足りなさは説明できる気もするのだ。神話が始まるかと思ったら、〝わたし〟の物語が始まってしまった、という。もしかしたら未来人ルーカスの実験は、終わったのかもしれない。そう考えるとちょっと寂しいなあ。