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おかしくはないです

嫌いな言葉は「多幸感」

【サヨナラの代わりに】わたしはわたしですよ

人生はつまんないしそのわりには途方もない。死ぬのは怖いけど生きるのもめんどくさい。うまく生きるやり方がいろんな本には書いてあるのかもしれないけどわたし用のはどうやらなさそう。モラトリアムとか言って他人を批判してみせるけど誰かを裁こうと待ち構えているあなたの人生も他人を傷つけることで成り立っていてとてもじゃないけど自立しているようには見えない。そんなふうになるくらいなら大人になんかならなくてもいい。

よくある難病ものといえば難病ものなんだけど、ALSヒラリー・スワンクの傍らにいるのはそんな感じの人生に途方にくれた大学生。どうして途方にくれているかというと、自分を批判か評価しかしない母親のおかげさまで、自己表現までたどり着かないから、自信がないから。で、ヒラリー・スワンクもどうやら同じく母親と自立、あるいは本当の自分、みたいなものに立ち止まっていて、その点で二人は手を繋ぎ、心を通わせることになる。そういう二人が来るべき死にどう対応するかっていう話でもある。それは、自分を決めつけたり評価したりすることばは自分から出た以外のものは別に聞かなくていい、だからあなた(二人称で表示されるあなた)はあなたではない(You are not you)なのかな。

泣かせ映画の構造としては、生き残る側に感情移入をさせ、死の瞬間を役者の演技を信じていい感じに描くというパーフェクトぶりなので、まあ泣いた。のでその辺りは裏切らない。作っている人たちからちょろいな泣いてるこいつらはと思われている可能性もあるくらいの泣かせ技。でもその辺りの作為をあまり隠そうとしないのは、実在する病気と向き合うってときに必要な誠実さなのかもしれない。

というか最終的には当事者の自己決定権の話になるので、ヒラリー・スワンクは同一テーマで三部作を作ろうとかそういう意図を持っているのだろうか。