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おかしくはないです

嫌いな言葉は「多幸感」

【ヴィジット】展開が読めたよねという侮りの無意味さ

シャマランを見る視線というものの上を横切る必要がないまま生きてこられたのは私がそれほど映画に淫してこなかったせいなのかもしれないけれど、近作のレビューを見る限り、監督作を前にある程度の留意が必要な作家として認識されているというのはさすがにわかる。

どうやらシャマランは「緻密な伏線が活かされる衝撃の展開」作家として広く認知されているらしい。というか、『ヴィジット』の宣伝もそういう方向性に終始している。人気作家が結末を予想!とか、まさしくだ。

で、その楽しみ方って、意味あんの?

意外な展開に驚かされる快楽は一種の快楽でしかなく、もちろんその快楽自体に価値はあるのだけれど、それは映画のよろこびをかたちづくる一部でしかない。なのになぜだか、入り組んだ物語の構成や謎に関する種明かしというのは妙に重宝がられているフシがある。「序盤で展開読めちゃった」。そういうふうにうそぶく人は、なぜだかいつも得意げだ。

だからなんだ。それで映画に勝ったつもりなのか。誰も得しないいびつな、物語至上主義が、映画の楽しさをだいなしにしていることに、気づいてもいいのに。なぜカメラはそこでズームするのか。なぜ役者はそこで視線を逸らすのか。なぜシーンはそこで転換するのか。それらすべてが映画の楽しさであり、話の筋以上に雄弁な、世界の一部を語る手段なのに。お話の展開を先読みすることに終始する映画の見方はとても窮屈だし、もし意図せずお話の展開が読めてしまって興ざめしてしまった場合でも、それはお話の展開が読めただけで興ざめするくらい、演出や編集の部分で何かが足りなかったんじゃないだろうか。

結論から言うと『ヴィジット』はかなり相当面白くて、ホラーとしてもオススメの映画でした。

『ヴィジット』の体裁はおうちホラーなんだけれども、主題の部分はホラーな出来事を通して語られる主人公姉弟(と母親)のアレコレであり、姉と弟(特に弟)がいいキャラクターなので、がんばれがんばれ、私も転んだり痛かったりしたときはモビルスーツの名前を言おう。そういう気持ちになる。

あとは何より、怖いシーンや必死なシーンにふわっと入れられるおもしろが面白くて、でもこのおもしろは言葉でほかの人に説明するのが難しいので、とにかく見た方がいい。おばあちゃんと弟が向かい合ってカメラの向こう側に叫ぶシーンは、怖さとおもしろさと滑稽さがひとつの瞬間に収まって、現実を捉えるというもっとも難しいミッションをスマートに達成していて、映画って楽しいなあ。それって、先を読んだりお話のスジを追ったりするだけの楽しさよりも、ずっとずっといいものだなあ。